高校生クイズ2025全国の頂点へ:沼津東高等学校クイズ研究部の挑戦とチームの絆

1.はじめに  

 2025年夏、全国の高校生が知力とチームワークを競う「第45回全国高等学校クイズ選手権(高校生クイズ2025)」で、静岡県立沼津東高等学校が初の全国優勝を果たしました。この大会は、日本テレビが主催し、全国の中から各地域予選を勝ち抜いた代表校が集う“知の甲子園”とも呼ばれる伝統ある大会です。難問を前に一瞬の判断力と冷静な戦略が求められる本競技において、沼津東高等学校が全国大会で優勝を果たした姿は、多くの視聴者の印象に残りました。
 全国の舞台で得られたこの成果は、単なる「知識の勝負」を超え、学びに向かう姿勢や生徒の可能性を象徴するものです。知識を問う競技でありながら、そこには論理的思考力や情報処理力、瞬時の判断力、そしてチームとしての信頼と協働が求められます。まさに、現代社会で求められている「自ら考え、他者と協働し、解を導く力」を体現した成果であるといえます。
 本稿では、クイズ研究部3年生の望月駿さん、高月利凰さん、倉田凱生さん、そして顧問の亀山圭治先生へのインタビューをもとに、彼らがどのように全国の強豪校に挑み、チームとして頂点に立ったのかをたどります。
 

2.全国の舞台を駆け抜けたチームの力

2.1 第1回戦:大阪・関西万博二択サバイバル走:42校から12校へ

 2025年6月に開催された予選大会を勝ち抜いた37校と、「総合選抜枠」に選出された5校、計42校が全国大会への出場を果たしました。番組は日本各地を縦断する構成で進行しました。
 第1回戦は大阪・関西万博会場を舞台に行われました。朝5時、出場者たちは大屋根リングのコースを走りながら二択問題に答える「サバイバル走」に挑みました。知力だけでなく、体力が試されるこのラウンドでは、全42校のうち3校のみが通過しました。沼津東高等学校は惜しくもこの第1ラウンドで敗退となりました。
 続く第2ラウンドでは、39校が3つのブロックに分かれて早押しクイズに臨みました。各ブロック13校が出場し、上位3校が次のステージへ進む形式です。沼津東高等学校は第1ブロックに配置され、2位で見事通過しました。
 「42校から12校しか残れないという厳しい条件の中で、精神的なプレッシャーは大きかった」と出場した3人は振り返ります。彼らにとって全国優勝への第一歩となりました。

2.2 第2回戦:神奈川・小田原城スーパーどろんこ〇✖クイズ:12校から8校へ

 翌日は「どろんこ〇クイズ」でした。誤答すれば全身が泥に覆われるという、短い時間での判断力が明暗を分ける競技です。競技の前には、壁に向かって走る順番を決めるための問題が出題されました。
 その内容は「令和に入ってから箱根駅伝を走った選手の延べ人数」というものです。メンバーはこの問題を振り返り、「“令和に入ってから”という条件を見落とさないことが大事でした」と語ります。令和は2019年5月に始まり、2020年から2025年までの6回分が対象となります。1大会あたり21チームが出場し、各チーム10名の走者で構成されます。さらに、第100回大会では特別に23チームが参加していました。こうした条件を整理し、冷静に計算を重ねた結果、沼津東高等学校は全体で3番目に正答に近い数値を導き出しました。
 しかし、その後に津波警報が発令され、安全確保のため「どろんこ〇クイズ」は翌日へ延期されました。翌朝、競技が再開されると、先に挑戦した5チームはいずれも泥まみれとなり、難易度の高さが際立つ展開となりました。その中で倉田さんが挑戦したのは、「国の菌(国菌)がある、〇かか?」という問題でした。彼は一瞬の迷いもなく〇を選び、見事正解。山岳部にも所属する倉田さんは、日頃から20kgの重りを背負って階段を20往復する練習を重ねており、「〇の壁を鉄に替えても大丈夫です」と語るほどの自信と気迫を見せました。その姿に、現場の観客やスタッフから大きな歓声が上がりました。
 
図1.どろんこ〇✖クイズを突破した倉田さんと喜ぶメンバー
図1.どろんこ〇クイズを突破した倉田さんと喜ぶメンバー
 

2.3 準決勝:北海道北竜町ひまわりの里、ひまわり畑で決戦タイマン早押しクイズ:10校(敗者復活2校含む)から5校へ

 一面に広がるひまわりの花々の中で行われたタイマン早押しクイズでは、灘高等学校との直接対決が実現しました。実は、灘高等学校は、第2回戦で敗退していたのですが、敗者復活で戻ってきたのです。敗者復活戦は、1回だけありますが、どの段階で行われるのか、参加者には知らされていなかったそうです。
 全員、厳しい戦いになることを予感しました。先鋒・倉田さんが力強く走り押し切りましたが相手チームの方が早く、先制されました。次鋒・望月さんが一瞬の差でボタンを押し勝ち、大将・高月さんもボタンを押すのが僅差で早く冷静に最終問題を正答し、優勝候補の灘高等学校を直接対決で制しました。勝利が決まった瞬間、カメラがとらえた高月さんの一言、「ひまわり、めっちゃきれい」には、緊張の極みから解放された素直な心がにじんでいました。
 
図2.問題を真剣に聞く大将・高月さん
図2.問題を真剣に聞く大将・高月さん
 

2.4 決勝ラウンド:沖縄

2.4.1 沖縄1stステージ、琉球村、駅伝バラマキクイズ:5校から4校へ
 このステージでは、スタート地点から一定の距離に問題が入った袋が2箇所設けられていました。近い方の140メートル地点には「難問」と「ハズレ」が混在する袋が、遠い250メートル地点には「標準レベルでハズレのない」袋が配置されていました。どちらの箇所を選ぶかは、走者自身の判断に委ねられており、知識だけでなく戦略と判断力が試される形式でした。
 第1走の望月さんは、これまでの出題傾向を踏まえ、あえて遠くの250メートル地点を選択しました。落ち着いた判断で標準問題を獲得し、確実に正答します。第2走の高月さんは、リスクを承知で近距離の難問を選び、一度誤答したものの、その後に標準問題を得て正解。第3走の倉田さんは、迷わず近くの難問に挑み、見事に正解を導き出しました。
 最終課題では、3人が同時に走る形式となり、90メートル地点に設けられた急な上り坂、通称「心臓破りの坂」の頂上で問題が出題されました。3人全員が正解すれば通過というルールです。1回目のトライでは、疲労の影響から誤答してしまいましたが、短い時間の中で互いに声を掛け合い、気持ちを立て直します。2回目のトライでは、3人の呼吸が完全に揃い、全員が正答して見事通過しました。
 望月さんは、走るのが辛そうでしたが、倉田さんがフォローしました。倉田さんは「自分はこのラウンドのためにいる」と語りました。その言葉のとおり、体力と集中力を兼ね備えた倉田さんの存在がチームを支えました。3人はこのステージを3位で通過し、次のラウンドへと進みました。この戦いは、仲間との絆をいっそう深めるとともに、他チームとの間にも確かな共感と連帯が芽生えた場面となりました。
2.4.2 沖縄2ndステージ、やんばるの森ビオスの丘、船上で激闘、1問3答クイズ:4校から3校へ
 やんばるの森を流れる川を進む船上で行われたクイズは、幻想的な雰囲気の中で繰り広げられました。形式は正解が3つある問題に対し、チーム全員がそれぞれ解答します。全員が正答すると1ポイントとなり、2ポイントを先取したチームが次のステージへ進出できるというルールでした。
 出題前、倉田さんは「とてもわくわくしています」と笑顔で語り、緊張の中にも高揚感をのぞかせていました。司会者から「誰が一番早押しに自信がありますか?」と問われると、高月さんが間髪入れずに「こいつですね」と望月さんを指し示し、会場の空気が和やかに包まれました。
 競技が始まると、沼津東高等学校チームは落ち着いた連携を見せ、2問目・3問目を連続で正解。的確な判断とチームワークで、早々に最終ステージへの進出を決めました。
2.4.3 沖縄3rdステージ、美々ビーチいとまん、10問先取の早押しクイズ:3校からついに1校へ
 正解で1ポイント、誤答は2回休み、の厳しいステージです。望月さんは「自分たちのクイズを信じてやるだけ」と応えました。
 得点は、次のように推移しました。沼津東-東大寺学園-私立武蔵:0-1-0,0-1-1,0-2-1,0-3-1,0-4-1、というように東大寺学園が4問正解して、沼津東はボタンを押しているのですが、わずかに遅くて答えられませんでした。望月さんは「わかる問題は多かったので、巻き返せる。」という心理でした。
 日本初のコンタクトレンズを開発したとされる眼科医は、水谷豊、で1問正解し、1-4-1となりました。その後は、1―5―1から3問連続で正答し、4-5-1となり、4-6-1、5-6-1、5-6-2、5-7-2と推移しました。
 正答して、6-7-2となったときの問題は、「山田耕筰が、留学先のベルリンで日本人として初めて作曲した交響曲のタイトルは何」でした。「山田耕筰が」でボタンを押した倉田さんは、「最初は山田耕筰が命名した『カルピス』が答えだと思ったけれども、でもなんか違うと思ったので、『かちどきと平和』と答えた」と説明しました。この僅かな時間で「どこで違うと思ったの?」と誰もが感じた瞬間でした。しかし、倉田さんの中では、ボタンを押した後、問題を出しているアナウンサーが僅かに「留学先」と読み続けたのを聞き逃しませんでした。
 その後は、6-7-3、6-7-4、6-7-5、6-7-6、となり私立武蔵に並ばれました。次の問題で、7-7-6、とトップに並びました。しかし何と、ここで沼津東が誤答して2回休みになり、7-7-7、7-7-8と推移しました。見ている方としては心配しましたが、次に沼津東が正解し、8-7-8となりました。この時の心境は「2回休みになったことで心が落ち着いた」。この小さな間が、最終局面に向けて精神的な均衡を取り戻す重要な契機となったのでした。
 その後は、8-8-8、9-8-8、となり沼津東が3チーム中、最初にリーチをかけました。一方、東大寺学園が誤答で2回休みとなり、その後、私立武蔵が正答して、9-8-9、で2チームがリーチとなりました。ここで倉田さん、「昨年の放送を見た印象では、決勝戦でリーチがかかっている場面になると、あえて難問が出題されることがありました。今回も同じような展開になる可能性があると考えていたので、そこは意識しつつ、あまり攻めすぎないように心がけました。」
 その後、私立武蔵が誤答により2回の休みとなる一方で、東大寺学園が再び解答権を得ました。緊迫する中、高月さんと倉田さんは「大丈夫、勝てる、勝てる」と声を掛け合い、仲間を鼓舞しました。そして迎えた最終問題の解答「明日は明日の風が吹く」。3人は息を合わせ、力強く同時に答えを告げました。結果は正解。スコアは10-8-9となり、沼津東高等学校は全国の頂点に立ちました。まさに手に汗握る接戦でした。
 優勝直後、望月さんは次のように語りました。「二人を憧れのクイズプレーヤーと思っているので、一緒に組めて優勝まで来られて本当に感謝しています。どうもありがとうございます。」また、倉田さんは穏やかな笑顔でこう言いました。「クイズは楽しいです。」この言葉に込められた喜びと達成感は、単なる勝利の瞬間を超え、チームとして積み上げてきた日々の努力を象徴するものでした。3人には副賞として世界研修旅行が贈られ、会場は大きな拍手に包まれました。
 
図3.優勝が決まり喜ぶ倉田さん、望月さん、そして飛び跳ねる高月さん
図3.優勝が決まり喜ぶ倉田さん、望月さん、そして飛び跳ねる高月さん
 

3.チームの形成と成長:個の動機から協働の力へ

3.1 異なる動機からチーム誕生へ

 沼津東高等学校クイズ研究部の活動は、単なる知識競技にとどまらず、「考えることの楽しさ」や「仲間とともに成長する喜び」を共有する場として発展してきました。今回、全国優勝を果たした3年生の3人も、入部当初はそれぞれ異なる動機を胸に、この部に集まりました。
 望月さんは、クイズとの出会いを次のように振り返ります。もともと父がクイズ好きだったこともあり、私自身も小さい頃からクイズに親しんでいました。中学生の頃には、“高校ではクイズ研究部に入りたい”と思うようになりました。ちょうど自宅の近くに沼津東高等学校があり、進学を決めた大きな理由の一つはクイズ研究部の存在でした。自然にクイズを続けられる環境が整っていたことも大きかったです。「この学校でクイズを続けたい」その思いが入学の原動力でした。
 高月さんは、部活動体験がきっかけだったと語ります。中学生のころからクイズが好きでした。中学3年生のとき、沼津東高等学校のオープンスクールに参加した際、クイズ研究部の体験会に参加しました。そのとき初めて早押しボタンを押してみて、とても楽しいと感じたのです。中学では運動部に所属していましたが、高校では新しい挑戦をしてみたいと思っていました。そんなときにこのクイズ研究部を知り、“これしかない”と確信して入部を決めました。
 倉田さんは、テレビ番組への憧れがあったといいます。高校生クイズに出場してみたいという気持ちがありました。ちょうど進学を考えていた沼津東高等学校にクイズ研究部があると知り、入部を決意しました。同時に身体を動かすことも好きだったので、登山部にも所属しました。クイズでは知識だけでなく瞬発力や集中力が問われますが、登山部で鍛えた体力が結果的に役立ちました。大会で結果を残すのはクイズ研究部で、と心に決めていました。
 それぞれ異なるきっかけを持ちながらも、3人に共通していたのは「自分の好きなことを突き詰めたい」という思いでした。そうした個々の情熱が交わり、互いを刺激し合うことで一つのチームとして成長していったのです。

3.2 日常の努力と学び

 沼津東高等学校クイズ研究部は、週5日という頻度で活動しています。木曜日と日曜日が休みで、平日は授業終了後におよそ2時間半、休日も3時間前後の練習を行っています。さらに、各自が自宅でクイズの勉強に取り組む時間も確保しており、部活動後にオンラインで他校の生徒と2時間ほど練習することも少なくありません。部員たちはインターネットでの調査や読書など、幅広い知識を吸収する「座学」にも取り組んでいます。さらに、自分たちで問題を作成する「作問活動」も行っています。出題者の意図を考えることで、問題の構成や傾向を理解できるようになります。作問も大切なトレーニングのひとつです。こうした積み重ねが、彼らの確かな実力を育んできました。
 
図4.クイズ研究部の活動風景
図4.クイズ研究部の活動風景
 
 クイズにおける苦手分野の克服について尋ねると、即座に答えてくれました。高月さんは「クイズでは苦手を無理に克服しなくても、他の得意分野でカバーできる場合もあります。ただ、個人戦では避けられない場面もあります。そうしたとき、表面的な知識だけでなく背景やエピソードを調べていくと、意外と面白く感じることがあります。興味が広がると自然に苦手意識もなくなります。クイズは単なる暗記ではなく、知識同士をつなげる「連想力」が問われる競技です。」と答えました。
 入部当初と今を比べて、どのような変化を感じていますかという質問に対して、3人はそれぞれの成長を振り返りました。高月さん「クイズを始めてから、知識の幅が本当に2倍にも3倍にも広がったと感じています。以前はあまり意識していませんでしたが、今では旅行先で必ず美術館に立ち寄るようになりました。美術や文化に関心を持つようになったのも、クイズがきっかけです。自分の中の世界が大きく変わりました。」、望月さん「もともと雑学的な知識を覚えるのは好きでしたが、学問的な内容までは深く踏み込んでいませんでした。最初のころは「出題されそうな問題を覚える」という感覚でしたが、2人と出会ってから変わりました。学問的な知識に強い2人の姿に刺激を受け、「深く学ぶ面白さ」を知ることができました。」、倉田さん「私は文系で、得意科目は国語と英語です。高校生クイズ優勝の副賞を使って3人で海外を巡るときは、自分は言語面でサポートできたらと思っています。」
 日々の練習に加え、静岡県内の他校とも積極的に交流を行っています。オンライン形式で開催した交流会では、互いに競い合うというよりも、率直に意見を交わし合いながら学び合う雰囲気がありました。自分たちの戦略を隠すのではなく、むしろオープンに知識や考え方を共有し合う場となっており、それがこの活動の大きな魅力だと感じています。いわば、お互いを高め合う「出稽古」のような感覚に近いかもしれません。今回の大会では、県内外の多くの高校生と交流する機会に恵まれました。全国大会の会場では、以前の交流会で顔を合わせた参加者の姿も見られ、再会の喜びが緊張を和らげてくれました。今回メンバー3人は、3年生ということもあり、同学年の仲間の多くはすでに引退していましたが、こうした縁があることで、大会そのものが単なる競技ではなく、人と人とをつなぐ場になっていると実感したとのことでした。

3.3 個性と信頼の融合

 沼津東高等学校クイズ研究部の3人は、それぞれが異なる個性と役割を担いながら、互いを支え合い、成長してきました。チーム内での関係性と、クイズを通じて広がった人との出会い、そして全国大会での印象的な場面について紹介します。
 それぞれの役割について尋ねると、「望月はクイズ面で最も頼りになる存在です。知識量も判断力も高く、まさに“クイズ担当”という感じです。」「高月はチームの引き締め役で、僕たちが調子を崩したり浮かれたりしたときに、ビシッと声をかけてくれます。」「倉田は話すのが上手で、場面に応じて的確に答える力があります。発表やインタビューでは、いつも倉田に任せています。」とのことです。
 三人はクイズを通して、多くの人や言葉との出会いを重ねてきました。倉田さん「今いちばん好きな小説家はトーマス・マンです。彼を知ったのはクイズがきっかけでした。問題で名前を覚え、後日、図書室で本を手に取ったところ深く心を動かされました。クイズを通じて出会えたことは大きな財産です。これからも折に触れて彼の作品を読み返したいと思います。」望月さん「今年2月、テレビ番組『アナザースカイ』でQuizKnockの伊沢拓司さんが来校してくださいました。ずっと憧れていた方で、直接お話を伺えたのは本当に貴重な経験でした。クイズを通して人とつながる意味を実感した瞬間でした。」高月さん「多くの出会いに恵まれました。望月とはクイズをしていなければ出会わなかったと思います。性格も考え方も違い、とても刺激を受けました。倉田ともクイズを通じて深く関わるようになり、多くの影響を受けて自分の視野が広がりました。」
 全国大会で最も印象に残っている場面について尋ねると、倉田さんは「灘高等学校との直接対決です。自分は負けましたが、2人が粘って逆転勝ちできたのが印象的でした。」望月さんは「1回戦は緊張しました。本来なら待つべき場面で早押ししてしまいましたが、正解できた瞬間に気持ちが前向きになりました。」高月さんは「決勝の舞台は初めてで、全国の強豪と戦えたこと自体が新鮮でした。緊張感も含めて楽しめた貴重な経験でした。」
 3人の言葉からは、クイズという競技が単なる知識の競い合いにとどまらず、人との出会いや内面的な成長を促す学びの場であることが伝わってきます。
 

4.将来への展望

 全国優勝という成果の背景には、3人が日々積み重ねてきた学びと、それを自らの将来へと結びつけようとする真摯な姿勢が伝わってきます。彼らにとってクイズは、単に知識を競い合う活動ではなく、「考える力」「伝える力」「信頼する力」を育む総合的な学びの場でありました。
 将来について尋ねると、3人はそれぞれ異なる視点から「学びを次につなぐ」構想を語ってくれました。倉田さんは、地域に根ざしたクイズ文化の継承を目指しています。「将来のことはまだはっきりとは決まっていませんが、大学生になったら静岡でクイズ大会を開いてみたいと思っています。東京や大阪のような大都市に比べると、静岡では大会の開催機会が少なく、参加の場に差が生じてしまうことがあります。それでも、地域で大会を企画・運営してくださる社会人の方々がいて、高校生の挑戦を支えてくださっています。そうした活動を次の世代につなぐためにも、自分の手で大会を開き、地域の高校生が挑戦できる場を作りたいと考えています。」
 望月さんは、知識を「楽しさ」として伝えることを志している。「私はQuizKnockの伊沢拓司さんに憧れており、将来的には彼の会社で活動したいと考えています。QuizKnockの理念である『勉強の楽しさを伝える』という考え方に強く共感しています。受験勉強では結果や点数が重視されがちですが、学ぶこと自体には本来の喜びがあります。勉強が得意でなくても好きになれるような、そんな学びの場を広げていきたいです。」
 高月さんは、クイズの本質を「楽しむ文化」として次世代に伝えたいと語る。「指導してくださった方々に恩返しをしたいという思いがあり、将来的には大会を主催してみたいと考えています。クイズで強くなるには多くの努力が必要で、日々膨大な問題を解く人もいます。その姿勢は尊敬しますが、競争の激しさに息苦しさを感じる人もいます。私は『自分が楽しむこと』を大切にしており、無理のない範囲で続けてきました。頑張りたいけれど競争に疲れた人たちにも、気軽に参加できるクイズの場を作りたいです。『肩の力を抜いて楽しめるクイズ』を開き、自分の感性と楽しさを結びつけながら、新しいクイズ文化を広げていけたらと思います。」
 3人の語りから浮かび上がるのは、「学びの本質は教室だけでなく外にもある」という共通の認識です。クイズという知的競技は、教科書の枠を超えて、情報を整理し、チームで戦略を立て、状況に応じて判断するという実践的な学びの場を提供します。そこでは知識が『生きた力』として機能し、人間的成長へとつながっています。沼津東高等学校クイズ研究部の活動は、まさに「学びを社会につなげる教育のかたち」を体現しているといえるでしょう。
 
 
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